人が生きる義務的理由を考えてみた。

hirosso

2004年01月30日 05:11

誰だって生きるという宣言をしているのだ!
宣言したからには、そう易々と死ぬなんてこと考えられないはず。いや、自分の都合で勝手に考えちゃいけない。
そんな私の理屈、理屈、理屈〜っ!
「勝手に生みやがって!アタシはあんたなんかに生んでくれって頼んだ覚えないからね!」

うむ。TVドラマにありがちな台詞。一見、正しい意見のようだが、そんなのが通るのは生まれたばかりの赤ん坊ぐらいだ。

だって、明らかに散々人生を楽しんでおいて、自分に都合悪くなったときだけ悪たれているとしか思えない。

メシ食ったときこんな経験はあるか。
焼肉の、口のなかに広がる肉汁のあまみ。
皮がぱりっと焼けた秋刀魚に大根おろしと醤油がかかった旬の味。
風呂上りのビールの喉越し。
寒い日に食べたあつあつ豚汁の濃厚な味。
その他もろもろ、自分が好きなもの食った瞬間。

間違いなく、だれもが「うまいっ!」と思ったはず。
誰もが「美味しい」と声に出したことがあるはず。

それってのは、肉にしろ野菜にしろ、確かに命いただいたって言う宣言なのだ。
己がこの先その命引き受けて、生きていくっていう宣言なのだ。

宣言したからには生きなきゃならん。
契約を破るわけにはいかんのだ。
都合が悪くなったからと不履行にしてはだめなのだ。

今まで引き継いだ何万何億何兆もの命を背負って今日も生きてやる。
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